









WATANABE COTTON PROJECT 種から始まる服づくり 2021.5.25
なんとなく考えているのは、自然のペースに合わせて服を作りたいと。
綿を育て、綿を回収して、糸にして服にできたら良いなと。あくまで自然のペースで。
そうすると服は一年に一度しか作れないことに気がつく。
今から育てた綿は、9月~12月くらいに収穫して、種と綿に分けて、糸にして生地にして服になる。
そうすると、たぶん、来年の5.6月位に服になる。
そして、5.6月に分けた種を土に植える。
そして、同じサイクルを繰り返す。
ゴールはないが循環というものが生まれると思う。
上手くいくかは分からない。けれど、やらないよりやることに意味があると思う。
だから、やってみる。
服の循環と自然のリズムとそこにあるかも知れない豊かさを探すために。
watanabe cotton project 「茶綿を一緒に育てませんか?」
福島県いわき市で茶綿の有機栽培をしている、kitenさんと知り合ったことで始まったプロジェクト。
茶綿のタネを配り、それぞれの環境で育ててみて、秋に綿が収穫できたら余白で回収して、茶綿ブレンドの生地を作り、来年のTシャツにします。
茶綿を育ててみたい方は、明日から余白店舗にて種を配り始めますので、お店にてお声がけください!
〈kiten @kiten.fukushima 〉
福島県いわき市で、在来種の茶綿を有機栽培し、それを原料としたコットン製品の企画・製造・販売までを行っています。
kitenさんから昨年収穫した茶綿のタネを譲っていただいたものを、皆さんにお配りします。
http://kiten.organic/
〈タネの配布から綿(ワタ)の回収まで〉
1.タネを配る(~6月末まで 無くなったら終了)
余白店舗にて配ります(5/28金~)
2.育てる
kitenさんからいただいた育て方ガイドを種と一緒にお渡しします。
土や虫や様々な環境がそれぞれ違うと思うので、がんばって育ててください。
余白では、2年やってみてまだ成功していません。今年は土に肥料を加えて根っこが伸び伸びできるように、プランターを深くしました。
インスタストーリーズ(種から始まる服づくり)、ブログにて栽培記録を更新します。
3.綿(ワタ)の回収(9月~12月末まで)
① 余白店舗に持ってくる
② 郵送する
〒111-0054
東京都台東区鳥越2-2-7 余白
2014.秋田.東京
伝統工芸は 自然環境にフィットしてつくったもの
昔から続いている技術だから
その物自体が安定している
いいものとして わかりきっているから
それが特別なものになる前に
使い続けたいとおもった
昔の人たち日本の祖先が リサイクルを普通にしていたのは
資源が限られているから
木をぜんぶとっちゃうと
それが無くなっちゃう
次の人々に つなげていく
種うえを必ずして 過去と未来とつなげていた
祖先に感謝をしていた
感謝をしている状態がずっとつづいていた
それぞれ役割がちゃんとあって だれも無理をしていない
不便だと人にたよったり
眠っていたものが生まれてくるから
不便なことのなかに豊かさがかくれてるんじゃないか
未来と過去が繋がり 循環する仕組みを
現代のやり方でどうにかできないかなというのが よはくであって
それを模索している
それが今 断片的にプロダクトであって
服をつくる人着る人 過去と未来と今がつながって
ずっとつながっていくといいなと思って
JR総武線浅草橋駅から店までの道を紹介します。
徒歩で約20分の道のりになります。
まず、浅草橋駅の「西口」出口に出ます。
改札口を出たら、左手にラーメン屋さんが見えます。
そちらの方から道に出てください。
道に出たら、右折して線路沿いを進みます。
左手にLAWSONやCAFFE veloceなどが入ったビルが出てきたら、左折します。
歩き進めると、道の奥に「鳥越神社」が見えてきます。
神社まですすんでください。
鳥越神社の目の前で信号を渡ります。
神社の入り口まで歩いてください。
そうすると道の先に、駐車場「フルーツパーク」が見えてきます。
この駐車場を通り過ぎたら左に曲がってください。
左折したら、道沿いに余白の店舗が見えます。
ラッピングの紙屋さんの、左隣の建物です。
入口のelabキッチンカウンター後ろを通り、
建物内の階段を上がった3Fがお店です
ようこそ、余白へ!
その土地で生まれた技術や、個人で活動してる方々がコツコツと毎日の日常の中で染めたり織ったり縫ったり育んでいる人と一緒に作ることが産直。日本の感性を現代の日常着として残していきたい。
産直シリーズは、コツコツと生産者の方に合わせたプロダクトです
多分、最初に産直と意識して作ったわけではないが、群馬県桐生市にある工房風花の板野さんとの出会いから始まった
板野さんは草木を染めたり自分で機を作り色々な方に体験と学びとして教えている方です。
最初に産直として作ったのは桐生のシルクの糸で作った横編みの試編みです。板野さんから糸を買い、秋田県で編んでもらいました。そのとき、秋田のニット工場の社長から電話があり、とても懐かしい糸だと聞きました。
その社長は福島県の出身でお母さんが蚕の世話をしながら、いつも家で糸を引いていたそうで、その時の、蚕の糸のキュッキュッとした感触を思い出したそうです。
産直は日本にあたりまえにあった技術というか、日常に溶けたんだ毎日の日常だったことを思い出す機会があります。
今までに、作ったモノやサンプルで終わったモノを合わせると何点つくったのだろう。草木、藍染め、インディゴ染め、蚕、織物、産地の糸。今後一つ一つ思い出しながらブログに書き溜めていこうと思います。
定番は再生シリーズでやって気が付いたことから生まれたプロダクトです
生地を残さないように作る
同じ形モノを縫い続けることで、縫製の効率があがる
付属品(テープや紐、ファスナー)など白に統一することで、ロスがでない
上記3点をやることで工場に負担がかからないように製造コストが圧縮できる
現在、定番で作っているものは、シンプルな日常着です
形や素材は日常生活するうえでストレスがかからないように考えて作っています
そのため、生地は全てオリジナルで作っています
茶綿(オーガニックコットン)と吊編み機を使った生地づくりをしています
生地を作っているのは、すべて和歌山県です
私の経験の中の服を作る上で、定番を作るのが一番難しいです
素材や付属品の値段の高騰や廃業、縫製で使えてたミシンが使えなくなったり
同じ糸番手の同じ編み、染色をした時のブレ
などなど、いろいろ綿の質だったり人だったり、時代の流れで変化していく中で
動くものを、同じように安定して作るというのはとても難しいです
そのため、ある程度曖昧にやっている部分もあります
定番でありながら、安定したモノではなく、不安定なモノをつくるようにしています。ちょっと自分でもよくわかないことを言っていますが。そう、余白は安定の中の不安定を作るようにしてます。ますます、よくわからんな。まあいいや。
綿は作物です。時期や取れる場所で糸の質は毎回違います。編み機も使う人で違います。そういう、自然らしい部分が残っているものが私にとって良いものだと感じています。そして、それらが心地よいものに変換されていくのではと思って作っています。
定番を作るときは同じ人に連絡をして、同じように無駄話をして、すべて同じにみえて違うかたちの服が出来上がる。そして、それは着てくれる人の喜びに繋がるのではとおぼろげに考えてます。
今月から働いてくれる空さんが書いてくれた文章を最後に引用します
服作りに関わる人たちと
これこらもこの先もつながっていきたいと思った
だから、余白の定番を考えた
そんな人たちの生み出す服を着るということは
この循環を途切らさないということ。
この循環に関わるということ
な気がします
合ってるかな
まさにです。ありがたや。
再生シリーズはかれこれ12、3年目?
最初に始めたきっかけは別に再生シリーズとは呼んではいなかった
ただ、残った生地が工場の倉庫に眠っていて、倉庫の整理に行ったときに、捨てていたのが嫌だった。それから、自分で ブランドをやりたいと思って、売るものを考えていた時、工場で捨てていた生地が目に入った、勿体ないから、これを使おうと思っただけ 。それがはじまり。
工場の倉庫に余った生地は、どんどん山のように積み重なっていく
特にそれらの生地はまた使われることは殆どなかった
倉庫がパンパンになったら、あとは捨てるだけ
昔は月に一度秋田の工場に行って、倉庫の整理をしていた
使う生地と捨てる生地を分けに選別をするため
殆どが使わない捨てる生地だった
そのたびに、倉庫の中で眠っている生地がなんだか寂しそうに見えた
感傷的になっていたのもあるのかもしれないが
それは別にしたとしても、やっぱり勿体ないから使った
あとはお金もたいして無かったし
売れない服を作ってまた捨ててしまうのも馬鹿らしいので
ある程度、コストも落とせるからという現実的なこともあった
まあ、どちらにしても使うことにした
残った生地(通称残反)で、いろいろな服を作った
そしてそれららのいろいろな服から沢山のことを学んだ
そんなあれこれがあって今の再生シリーズができました
レギンス、旅レギンス、ドバイパンツ、ストールが生まれました
作りながら、そして使いながら、修正をしながら作っていきます。